「相手が自分より練習していたら負ける。だから、やり過ぎることはない」

かつてボクシングのカリスマ、辰吉丈一郎はそう言った。

私は今、65歳。まさに「根性論」や「浪花節」の真っ只中で生きてきた世代だ。

最近の若い人を見ていると、「努力が足りないのではないか」「血反吐が出るまでやり抜くことの重要性をわかっていないのではないか」と、つい歯痒く感じてしまうこともあった。

しかし、今のスポーツ界の頂点に立つ者たち――大谷翔平、イチロー、松井秀喜といった超一流選手たちを見ていると、一つの真理に突き当たる。

彼らは努力をしていないのか? そんなわけはない。

ただ、その「努力の質」が、私たちの時代とは決定的に違うのだ。

「それが男」という沈黙の美学

辰吉丈一郎の言葉で忘れられないものがある。

「しんどくても、顔に出してはいけない。それが男や」という哲学だ。

ボクシングの世界では、パンチが効いた顔を見せれば、相手は一気に攻め込んでくる。どれだけ痛くても、どれだけ苦しくても、顔色一つ変えずに立ち向かう。

この「痩せ我慢」の美学、弱みを見せない強さこそが、私たちが信じてきた「根性」の正体だった。

私も学生時代、体育会のアイスホッケー部に身を置いていた。

「息が切れるまで走れ」「ぶっ倒れるまでダッシュしろ」

そんな過酷な練習が当たり前の日々だった。確かに、その土台となる体力と精神力は不可欠だ。

しかし、アイスホッケーもボクシングも、ただ闇雲に体を動かすだけでは勝てない。「頭」を使わなければ、同じレベルの相手には到底及ばないのである。

大谷翔平の「憧れるのをやめましょう」に宿る大和魂

2023年WBC決勝、大谷翔平選手が発した「憧れるのをやめましょう」という言葉。

これは現代的な合理性の象徴のように語られるが、私はそこに、かつての日本人が持っていた「大和魂」を感じずにはいられなかった。

大リーグのスター選手、年俸数十億を稼ぐ英雄たち。

彼らと同じフィールドに立つとき、憧れを抱いたままでは、心に隙が生まれる。

「彼らと自分たちは互角である。勝てる力がある」

そう自分を律し、対等な勝負師としてマインドをセットする。

かつて、戦闘機で空へと飛び立っていった若き戦士たちも、同じような「覚悟」を腹に据えていたのではないだろうか。

憧れを捨て、目の前の勝負に全霊を注ぐ。

大谷選手の一言は、まさに現代に蘇った「大和魂」そのものだったように思う。

「根性」を「合理性」に振り向ける

現代の五輪選手が「最後まで楽しみたい」と口にする。

私たちの世代からすれば、一見「甘い」ようにも聞こえる言葉だが、その本質は「遊び」の境地にまで努力を高めた「究極の集中状態」を指している。

定年を迎えた今、これからの人生をどう楽しむか。

私は、あの頃培った「根性」を捨てるつもりはない。

ただ、その使い道を変えたいのだ。

  1. ベースとしての根性: 自分を律し、継続する力。
  2. 掛け算としての合理性: 闇雲に走るのではなく、勝つための仕組みを作ること。
  3. 目的としての遊び: 努力そのものが楽しみであり、報酬である状態。

65歳からの人生。

「浪花節」の熱量を持ったまま、大谷選手のような「合理的な視点」を取り入れ、遊びを仕事に変えていく。

それこそが、私たちが辿り着くべき「最高に面白い人生後半戦」の姿ではないだろうか。

「憧れる」側から、「自分自身の人生をプレーする」側へ。

私たちは、まだまだこれからだ。